西は京都に隣接し、琵琶湖の南西岸に位置する滋賀県大津市は、県の産業や行政、文化の中心的な存在となっています。
2001年より特例市となり、滋賀群滋賀町を編入して現在の形になりました。
文化的な市であるため市内には多くの寺社があり、図書館や美術館などの施設も豊富にあります。
そんな滋賀県大津市には、近江八景が残る景色や鯖街道などもあり、動画制作・映像制作に最適な景色がたくさんあります。
滋賀県大津市で動画制作・映像撮影を検討している方は、人気の撮影スポットに足を運んでみましょう。
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目次
比叡山延暦寺
滋賀県大津市坂本本町にある、日本の法華経を経典とする仏教の天台宗の総本山となる「比叡山延暦寺」は、比叡山全域が境内となる寺院です。
その標高は848mあり、平安時代初期に最澄によって開創しました。平安時代の仏教の中心を担った寺院であり、高野山金剛峯寺と並んで歴史的な信仰対象の山としても有名です。
比叡山延暦寺は、天台法華の教え以外にも密教や禅なども行われていて、平安時代には多くの尊崇を得て力を持っていました。
特に密教での加持祈祷は平安貴族からの支持もあり、真言宗の密教を東密と呼ぶのに対して、延暦寺の密教は台密と呼ばれるなどして競い合ったそうです。
また、延暦寺からは名僧も多く輩出し、日本天台宗の基礎となった円仁や円珍、浄土宗の開祖である法然、浄土真宗の開祖である親鸞、融通念仏宗の開祖である良忍、日蓮宗の開祖である日蓮、曹洞宗の開祖である道元など、新仏教の開祖や日本仏教の中でも多くの僧が若い時に、この比叡山で修業していたことから、日本仏教の母山と呼ばれることもあります。比叡山延暦寺は、山上から東麓にかけて三塔十六谷の総称となり、延暦は開創時の年号からきた寺号であり、最澄が亡くなってからの名称となります。
古都京都の文化財としてユネスコの世界文化遺産に登録されるなど、貴重な文化財として現代に引き継がれています。
神秘的なパワースポットとしても有名で、厳かなで独特の雰囲気を堪能できる場所となります。
周辺の景色も季節に合わせて色や姿を変えてくれるので、日本の四季を映像に残したいなら、足を運んでみましょう。
旧竹林院庭園
滋賀県大津市にある景勝地の「旧竹林院庭園」は、元は比叡山延暦寺の隠居した僧侶が残りの余生を過ごす住居となる里坊の1つでした。
この旧竹林院庭園は約3,300㎡という広さを誇り、邸内には2棟の茶室と四阿(あずまや)もあり、日本の名勝としても知られています。
里坊の中でも最も格式が高いのがこの旧竹林院庭園であり、江戸時代に入るとこの敷地内には日本庭園が造営されました。
江戸時代の幕府政治が終焉して、新しい政治を行うことになった明治政府は、政治の妨げになりそうな神社や仏教寺院の権力を弱めようと神仏分離と廃仏毀釈を行い、神社と寺院を明確に区別していき、これによって両者の権力も弱体化していきました。
特に比叡山延暦寺は、以前天皇の権力を脅かすほど大きな力があったため、最初に弾圧の対象とされてしまい、その際に里坊も衰退していってしまったのです。
里坊として格式のあった竹林院も明治時代に入ると個人の所有地となってしまい、歴史上のお寺でもなくなったことから旧竹林院と呼ばれるようになりました。
里坊の中で最も高い格式を持っていた竹林院は、八王子山を借景にした回遊式の庭園で、庭園そのものは整備されていますが、ところどころ時代を感じる部分があります。
それはこの庭園内の景色を見てもらうとわかりますが、どれもその時代の名残を感じさせるような風景や建築物と一緒に、春は枝垂れ桜、秋は紅葉の景観を楽しむことができ、まるでこの庭園だけ別格とさえ感じる圧倒的な景観を堪能できます。
耐震工事も終了し、明治時代に建築され大津市指定景観重要建造物となっている母屋や四阿はこの庭園の見どころでもあります。
ぜひ訪れてその圧倒的な風景を感じてみましょう。
大津湖岸なぎさ公園
滋賀県大津市浜大津にある「大津湖岸なぎさ公園」は、大津港の東側から流れる盛越川まで琵琶湖畔に沿って細長い形の公園となります。
1998年に大津市の中心市街地活性化基本計画の事業の一環として、株式会社まちづくり大津が多方面から整備をしていきました。
2009年には、びわ湖ホールの西隣に4件のカフェとして「なぎさのテラス」がオープンし、ますます活気に溢れる場所として多くの住民に利用されています。
1995年には都市景観100選を受賞し、地球環境関西フォーラムが選定した関西自然に親しむ風景100選にも選出され、その景色の良さはここでしか堪能することができないでしょう。
様々なニーズに応えられるスポットで、駅の近くに位置していることから、周辺施設からの利便性も高くなっているため、車でも交通機関を利用しても訪れやすく琵琶湖の景色を楽しみながらの散策や散歩などを楽しむことができます。
大津湖岸なぎさ公園はいくつかのエリアによって分類されていて、大津港と繋がっている「おまつり広場」では、多目的に利用することができる芝生メインの広場で、文化的なイベントやレクリエーションの場としても使用することができ、打出の森は滋賀県立「びわ湖ホール」があり、本格的な音楽などの芸術に触れることができます。
「なぎさのプロムナード」と呼ばれる長い遊歩道では、四季折々の花に囲まれながらゆったりと過ごすことができ、膳所・晴嵐の道は大津の歴史と景観が一体となる景色が堪能でき、近江八景で有名な「粟津の晴嵐」を見ることも可能です。
広く長い砂浜が続いている「サンシャインビーチ」では、水辺ならではの楽しみ方ができて、「市民プラザ」に行くと比叡・比良などの山々の姿や琵琶湖大橋や近江大橋などの街並みを見渡すことができます。
同じ場所であっても、それぞれの場所には違った景色があり、どこで動画や映像制作のための撮影をしても同じ場所とは思えないほどです。
テーマに合わせた映像が欲しい方におすすめの場所です。
園城寺
1300年以上の歴史を誇っている「園城寺」は、滋賀県大津市園城寺町にあり、正式には「長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)」と言います。
山号は「長等山(ながらさん)」と称され、その創立者は大友与多王となります。
天台寺門宗の総本山であり、大友皇子の子どもであった大友与多王が氏寺として草創し、その後留学僧であった円珍によって発展していきました。
平安時代以降、皇族から武家まで幅広く信仰されていた三井寺でしたが、10世紀頃に比叡山延暦寺との抗争があり、これによって比叡山延暦寺の宗徒から7度も堂塔を焼き払われてしまいます。
源平の戦いでは源氏の寺として壊滅的な攻撃を受けただけでなく、豊臣秀吉によって寺領の没収がされたことで廃絶し、堂塔伽藍や寺宝などの全てを失ってしまいました。
何度も失っては債権の道を辿ってきたことから、園城寺には”不死身の寺”と称されるようになり、現在の園城寺は自らの死の直前になって豊臣秀吉によって再興の許可が下りた際に、整えられたままの状態を維持しているとされています。
国宝の金堂には御本尊として、天智天皇の御念持仏とされている弥勒菩薩が祀られており、境内には近江八景の1つである「三井の晩鐘」や湖国近江の名勝、弁慶引摺鐘など歴史を感じる国宝や重要文化財が多く残されています。
明治維新後には天台宗寺門派と名乗っていたのですが、1946年以降は天台寺門宗総本山と名乗りを変えて、映画などにも多く仕様されている撮影スポットとなっています。
重みのある歴史を映像から感じたいなら、園城寺を動画や映像制作のロケ地に活用してみましょう。