川越市は埼玉県の南西地域に位置する都市で、経済、文化、産業、観光などで古くから発展してきました。
都心からは約30kmの場所にあります。大正11年に市制を施行し、昭和30年に周辺の9つの村を合併して現在の川越市となりました。
政令指定都市に次ぐ権限がある「中核市」として栄えています。
江戸時代に川越藩の城下町として発展した歴史から、「小江戸」の別名で歴史的建造物が多く観光客にも人気です。
戦災や震災の影響を免れた歴史的な街並みなどの観光名所を目当てに年間約704万人もの観光客が訪れます。
今回はそんな川越エリアにある動画・映像制作におすすめのスポットをご紹介していきましょう。
««相場の半額でお見積りします»» 動画制作をご検討の方はこちら
目次
喜多院
川崎大師の別名で知られる喜多院は、慈覚大師が創建した天台宗の寺院で正式名称は星野山無量寿寺喜多院です。
建物の多くが重要文化財に指定されており、埼玉県を代表する寺院として全国的な知名度を誇っています。
徳川家康の信任を得た天海僧正が住職となった頃、家光誕生の間が移築されました。
豪華な壁画や墨絵などで装飾された「客殿」と呼ばれています。
また、3代将軍家光の乳母「春日局」が使用していた化粧の間である「書院」も移築されており、江戸城ゆかりの建造物が見所です。
重要文化財に指定されている慈眼堂・山門・鐘楼門や、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮など、徳川家とゆかりの深い寺として江戸時代を感じるスポットとなっています。
境内には「五百羅漢」という日本三大羅漢の1つとして有名な石仏群が鎮座し、観光客の人気を集めています。
石仏の表情は人間の喜怒哀楽を表現した様々な表情をしており、撮影にぴったりと言えるでしょう。
菓子屋横町
川越市元町にある菓子屋横町は、昔懐かしい菓子屋が並ぶ商店街です。菓子屋横丁の成り立ちは、寛政8年、養寿院の門前町にて鈴木藤左衛門が江戸っ子好みの菓子を製造したことに始まります。
その後、周囲にのれん分けし菓子屋が増え、関東大震災によって被災した東京の菓子屋に代わり、金太郎飴、水ようかんなどの江戸菓子製造を賄って全国に出荷していた歴史があります。
石畳の道にはカラフルなガラスが散りばめられ、約20件の菓子屋が並ぶ有名スポットです。
昔懐かしい素朴な菓子に郷愁を掻き立てられる人も多いでしょう。
昔ながらの作り方で飴菓子やカルメ焼きなどが作られている様子は、昔を知る大人には懐かしく、また駄菓子を知らない若い世代には新鮮な風景かもしれません。
ニッキやハッカの香り、せんべいを焼く醤油が焦げる香ばしい匂いなどもどこか懐かしく、環境省の「かおり風景100選」にも選ばれています。
懐かしい味を今に伝える菓子屋横丁は、ノスタルジックな暖かさが溢れるおすすめスポットです。
時の鐘
地元住民には「鐘撞堂」と呼ばれ親しまれている時の鐘は、蔵造りの街並みを代表する川越のシンボル的な存在です。
観光名所であると同時に、川越市指定有形文化財にもなっています。
高さ16mの時の鐘は3層構造の塔で、昔は鐘撞き守が時を知らせていました。
現在は機械式になっており、午前6時、正午、午後3時、午後6時に時を知らせるシステムになっています。
塔をくぐった先は薬師神社の境内に繋がっています。
現在の鐘楼は4代目です。初代の時の鐘は、寛永年間の川越藩主である酒井忠勝によって建設されました。
戦災により何度も消失したとされ、1654年には当時の藩主「松平信綱」が新たな鐘楼を鋳造したという記録が残っています。
現在の鐘楼は1893年に起きた川越大火の翌年に創設されました。
2015年の耐震診断で倒壊の危険性が指摘されたため、2017年までの2年間をかけ耐震化工事と大修復を行いました。
日本の音風景100選にも選出された「時の鐘」は、動画・映像の撮影対象として魅力的なスポットと言えるでしょう。
一番街
蔵づくりの街並みが魅力的な一番街は、明治の香り漂う人気の観光スポットです。
黒漆喰の壁、大きな鬼瓦の屋根、分厚い観音開きの扉など、歴史を感じさせる趣豊かな建物が目を引きます。
堂々とした風格のある、それぞれが異なる造りとなっている建物が魅力的です。
江戸時代の川越藩主「松平信綱」の街づくりで、通りに面して店が向かい合う形の街並みが完成しました。
江戸では火事に強い建物である土蔵造りが流行しており、それにならって川越でも蔵造りの商家が建てられるようになりました。
現在の川越の蔵造りの建物は、川越大火後に建てられたもので、約30棟が残っています。
東京では関東大震災や戦災などにより蔵造りの建物は姿を消してしまいました。
そのため、川越の一番街エリアは、江戸の景観を継承した歴史的な遺産として「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されています。
大正7年に建築された埼玉りそな銀行の古い洋館も、新しいものと古いものが調和した魅力的な景観として人気です。
「蔵造り資料館」では、蔵造りの構造や敷地内の各蔵の配置などを学ぶことができます。
中院
喜多院の南にある中院は、閑静な佇まいが魅力の寺院です。
正式名称は天台宗別格本山中院で、鎌倉時代末に無量寿寺から分かれたとされる天台宗の寺であり、喜多院が創建されまではこの地の中心的寺院でした。
中院は島崎藤村ゆかりの寺院として有名で、藤村ゆかりの茶室「不染亭」は川越市の文化財です。
境内には藤村の義理の母である加藤みきの墓があり、墓石の戒名「蓮月不染之墓」の文字は藤村の筆だと伝えられています。
また、本堂前のしだれ桜は見事で桜の名所として知られています。
境内は四季折々の美しさで人々に親しまれています。
さらに、中院は狭山茶・川越茶の発祥の地としても有名で、約30年前までは境内にも茶畑がありました。
仙波東照宮
徳川家康を祀った日光東照宮を始め、日本各地にある東照宮の中で、川越市にある仙波東照宮は日本三大東照宮の1つに数えられています。
元和2年、駿府で没した徳川家康公の亡骸を日光へ移す途中に喜多院で法要が営まれたことから寛永10年に仙波東照宮が建立されました。
漆塗りの鮮やかな飾りが特徴で、本殿・唐門・瑞垣・拝殿・幣殿・随身門・石鳥居が重要文化財に指定されています。
社殿の柱に施された彫刻も東照宮の名に相応しい立派なものです。
三つ葉葵の御紋が立派に掲げられた拝殿前の入口扉や、川越城主の銘が刻まれた石灯籠などが歴史を感じさせるスポットとなっています。
氷川神社
氷川神社は川越市宮下町にある神社で、川越の総鎮守として歴代川越藩主の崇敬を受けてきました。
参道には高さ15mの大鳥居がそびえ、左手には小さな川が流れています。
境内の樹齢500年を超える木々が、まるで小さな森のような雰囲気を醸し出しています。
川越氷川神社の歴史は古く、約1500年前の古墳時代に武蔵一宮である大宮氷川神社を分祠し創建されたと言われています。
以来「お氷川様」と呼ばれ川越の総鎮守として人々に親しまれています。
社殿には江戸彫りの精巧な彫刻が施され、鳥居の中央にある社号額は勝海舟によるものです。
本殿をはじめとして建物の全体が昭和31年に埼玉県指定文化財に指定されています。
5柱の神様、素盞嗚尊と奇稲田姫命の夫婦神様、この子孫である出雲大社の縁結びの神様としても知られている大己貴命、奇稲田姫命の両親にあたる脚摩乳命と 手摩乳命の夫婦神が祀られています。
夫婦や家族の神様が祀られていることから、川越氷川神社は縁結び・夫婦円満の神社として信仰され、近年は良縁を呼ぶパワースポットとしても人気です。